みなさん、こんにちは。ミー助です。
本日は、
【吹浦忠正の経歴や出身大学・学部は?国旗を担当した理由や苦労話も!】についてご紹介したいと思います。
2回目の東京五輪を2020年に控え、1回目の東京五輪について注目が集まっています!当時、見事に東京五輪を成功させた影の立役者の一人の吹浦忠正氏(東京五輪の国旗担当)が話題を集めているので、調べてみました!何故、吹浦忠正氏(東京五輪の国旗担当)は当時、最年少で東京五輪に携われたのでしょうか?
それでは【吹浦忠正の経歴や出身大学・学部は?国旗を担当した理由や苦労話も!】について、一緒に見ていきましょう!
吹浦忠正(東京五輪の国旗担当)の経歴
①吹浦忠正(東京五輪の国旗担当)の経歴
・名前:吹浦忠正(ふきうら ただまさ)
・生年月日:1941年3月17日
・出身:秋田県秋田市
・職業:評論家
大学在籍時に、東京オリンピックの最年少で
オリンピック東京大会組織委員会国旗担当専門職員に抜擢!
その後、
・国際赤十字バングラデッシュ・ベトナム各駐在代表
・末次一郎事務所所長
・難民を助ける会副会長
・長野冬季五輪組織委式典担当顧問
・埼玉県立大教授
現在は、上記に挙げた所属の代表などを担っており、さらに
・拓殖大学客員教授
・NGO難民を助ける会特別顧問
・協力隊を育てる会参与
・Japan Echo(国連公用語での発信事業)理事
と、とんでもない経歴の持ち主である吹浦忠正氏(東京五輪の国旗担当)ですが、
国旗に関して幼少時から並々ならぬ興味を示していたそうです。
吹浦忠正氏(東京五輪の国旗担当)が小学校4年生時、国旗の不思議さや面白さに気付いたそうです。
当時の吹浦忠正氏(東京五輪の国旗担当)の家の部屋に、世界地図と国旗が表記されていたそうです。
例えば、北欧の
・デンマーク
・アイスランド
・スウェーデン
・ノルウェー
・フィンランド
などが、国旗に同じような十字架が旗に描かれているのに疑問を感じ、当時の先生に聞いてみたところ
「そのうちわかるから、まず、しっかりとほかの科目の国語、数学、理科、社会などを勉強しなさい!」
と言われたそうです。その後、先生の言う通りで、段々と国の違いが地理や歴史、経済などの他の勉強で
違いがわかってきたそうです。
このような国旗に関しての興味や知識などが、
吹浦忠正氏(東京五輪の国旗担当)を東京五輪の国旗専門担当という役職に抜擢されることになるのです!
吹浦忠正(東京五輪の国旗担当)の出身大学・学部は?
②吹浦忠正(東京五輪の国旗担当)の出身大学・学部は?
東京五輪に開幕に向けて、「国旗の専門家」が当時は日本に在籍していなかった。
その時に白羽の矢になったのが、吹浦忠正氏(東京五輪の国旗担当)である。
この時、吹浦忠正氏(東京五輪の国旗担当)は、現役大学生。在籍していたのは
・大学:早稲田大学卒 → 早稲田大学大学院卒
・学部:政経学部
当時の大学に行くというのは、現在と違い
「経済的に恵まれている」というのが、地盤にないと本当に厳しい年代でした。
さらに、当り前なのですが「しっかりと勉強する!」ということが
大学に行く「最優先事項」の年代。スポーツなどをするために行っていた人も
「結果を出す!」ということが念頭に、大学に行っていたので
今とは違い、死に物狂いで大学に一家の代表として、学びに行っていた時代。
そんな中、吹浦忠正氏(東京五輪の国旗担当)は
当時の大学進学をしていた人の正に、象徴的な感じだったのではないでしょうか?
吹浦忠正(東京五輪の国旗担当)の東京五輪の国旗を担当した理由も!
③吹浦忠正(東京五輪の国旗担当)の東京五輪の国旗を担当した理由!
白羽の矢が立った吹浦忠正氏(東京五輪の国旗担当)は、当時大学生。
このときには既に、国旗に関しての研究に没頭していて
書籍も2冊出版していたそうです。
当時、国旗に精通している専門家が日本にはほとんどいない状態で
・日本赤十字社
・日本ユネスコ協会連盟
・外務省
などに照会したら、吹浦忠正氏(東京五輪の国旗担当)の名前が挙がった!
この当時大学生だったのにもかかわらず、国旗に関しての本を2冊も出版していることで
当時の東京五輪の組織委員会式典課の職員に呼ばれ、田畑政治事務総長の面接を受けることになります。
その時、田畑政治事務総長は
「イギリスの国旗を使った国旗はどういうのがあるのかね?」
との問いに対して、吹浦忠正氏(東京五輪の国旗担当)は
田畑政治事務総長が、「オーストラリアやニュージーランド」と答えると思ったそうなので
専門家のプライドに火が付き、ついつい知名度の高くない地域や国などを詳細にあげたそうです。
その時の返答が
「東京五輪のオリンピック参加国で言いますと、香港、バミューダ、バハマ、北ローデシア(現在のザンビア)」
という風に、吹浦忠正氏(東京五輪の国旗担当)は返答!
その返答内容を聞いた田畑政治事務総長は
「もう分かった、分かった」
と言い、面接が終了し、正規採用されたそうです!
吹浦忠正(東京五輪の国旗担当)の国旗を担当した苦労話!
④吹浦忠正(東京五輪の国旗担当)の国旗を担当した苦労話!
吹浦忠正氏(東京五輪の国旗担当)が東京五輪で苦労したことは一体何だったのでしょうか?
実は国旗は、かなり似ている国が数多く存在しているそうで
例えば、正しい国旗自体が全く認知されていないので、上下逆さまになる可能性があるとのこと!
なので、吹浦忠正氏(東京五輪の国旗担当)が担当した「国旗担当専門職員」として
『正しい国旗を正しく掲げること!』
が、仕事内容でした。そのため、諸外国の国旗の扱い方を間違ってしまうと
とんでもない侮辱行為にもなってしまうため、かなり神経を擦り減らしたみたいです。
日本の場合は、国旗が日の丸なので、あまり上下の差がないので、ついついあまり考えなくなるのですが、モナコとインドネシアは同じで、上下逆にするとポーランドになってしまうということもあります。
ちなみに余談ですが、リオ五輪時には、チェコとロシアの国旗が逆さまになって掲げられていたり
伊勢志摩サミットの際に、広島県での外相会合時のチラシ・ポスターは、イタリアの国旗の赤色の部分が、オレンジ色のような色合いになっていたので、この場合だと、イタリアではなく、アイルランドになってしまうそうです!
といったように、少し違うだけで、国旗が変わってしまうので、最大の侮辱行為になってしまうので
最新の注意を払ったそうです。
まとめ
今回ご紹介しました【吹浦忠正の経歴や出身大学・学部は?国旗を担当した理由や苦労話も!】はいかがでしたでしょうか?
2回目の東京五輪の成功に向けて、今、水面下ではとてつもない努力をし、2020年に備えて着々と準備を進めている人がいるんでしょうね!きっとその人たちは、昔の成功した1回目の東京五輪の事も調べ挙げて、テンションを挙げながら努力を積み重ねていると思います。今回の吹浦忠正氏(東京五輪の国旗担当)の話なども、表に出づらい話ではありますが、後の世の後世に語り継がれていくことでしょうね♪2020年の2回目の東京五輪に期待大です!
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