みなさん、こんにちは。ミー助です。
本日は、
【中泉一豊 (金足農監督)の選手時代やキャリアは?強さの秘密の田沢湖合宿とは?】についてご紹介したいと思います。
100回目となる夏の甲子園大会ですが、その台風の目として「ミラクル旋風」として活躍しまくる秋田県代表の金足農業高校。その監督である中泉一豊氏は果たして、どんな人物何でしょうか?
それでは【中泉一豊 (金足農監督)の選手時代やキャリアは?強さの秘密の田沢湖合宿とは?】について、一緒に見ていきましょう!
中泉一豊 (金足農監督)の選手時代やキャリアなどの経歴
【出典元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180820-00000049-asahi-spo.view-000】
中泉一豊 (金足農監督)の選手時代や監督・コーチの経歴
中泉一豊 の選手時代
・名前:中泉一豊 (なかいずみ かずとよ)
・生年月日/年齢:1973年生まれ/45歳(2018年8月20日現在)
・出身地:秋田県
・学歴:金足農業⇒青山学院大学
高校時代は、金足農業高校に在籍。つまり、OB。
甲子園には、春の選抜で出場し、打撃の主軸として活躍!
初戦の大分県代表の柳ヶ浦高校に敗退。
大学時代は、青山学院大学に進学。
青山学院大学3年時に、なんと全日本大学野球選手権で
優勝し、見事貢献しているようです!
選手としては、かなりレベルが高かったのではないでしょうか?
その後、教員免許を取得し、
現在では秋田県の金足農業高校の「環境土木科」という科の
実習助手という形で、測量などの分野を指導しているようですね~♪
中泉一豊 (金足農監督)の監督・コーチのキャリア歴
①秋田商業のコーチ
秋田商業は秋田県内では、秋田屈指の強豪校!
しかも、甲子園にベスト8まで行くほどの実力を誇ります。
中泉一豊氏は、ここで指導者としての基盤を構築されます。
ちなみに、この時の教え子が現在のプロ野球のヤクルトに在籍している石川雅規投手。
↓
②五城目高校の監督
秋田商業で培った指導者としての
知識と技術を、実際に監督としての実力に落とし込んでいく
↓
③金足農業の監督
2015年に金足農業の監督に就任
金足農業の強さの原点!伝統の秘密の特訓「田沢湖合宿」とは?そして、現在の合宿内容とは?
【出典元:http://tazawakospo.jugem.jp/?cid=6】
「雑草軍団」金足農業高校野球部の伝統的練習!洗礼の『田沢湖合宿』とは?
秋田県内では野球の名門として知られる金足農業高校ですが
当然、その練習のキツさは、県内ではかなり有名です。
その中でも、一番ヤバい(泣)と言われているのが
「地獄の田沢湖合宿」
という、年始早々から始まる地獄の合宿です。
毎年、正月休みが終わってから、すぐに田沢湖でする徹底したトレーニングというには生易しい・・・。とんでもない練習量と質で、毎年、TVの取材で有名で秋田県の正月早々の風物詩の一つです。
この田沢湖合宿の内容ですが
まず、田沢湖が奥羽山脈の山の方にあるので、「雪が深い」状態。
・『60cm以上の積雪を足を取られながら、長靴を履いてかなりキツイ坂の全力疾走をしまくる』ので、足腰を徹底的に苛め抜きます!ちなみにこの坂、体を前傾姿勢にしないと、坂から転げ落ちそうになるくらいの傾斜角度だそうです。その様な坂をペアを組んでオンブしながら、坂を上がっていた!
さらに、
・『上半身はそんな深雪の環境を利用したスキー板を履いて、ストックを握りしめて上半身だけで足を使わずに坂を登る』といった通常の野球の練習とは思えないような練習方法!というか、クロスカントリー?
他にも、
・『腹這い状態で、前に腕だけ使って進む「アザラシ」』
・『足首を手で掴んで、前に跳ねながら前進する「足首」』
・『ほふく前進で前に進む「自衛隊」』
実に雪国ならでは!といった感じのトレーニングメニューではないでしょうか?
雪が降らない所では想像もできないぐらいハードで、その練習方法を聞きつけて、関東の方からも、チラホラ合宿にやってくるチームが増えてきているみたいです!今回の金足農業高校の括約で、かなり増えるかもしれませんね。
ちなみに、試合でピンチになったら金足農業のナインは
「あの田沢湖合宿を思い出せ」⇒『嫌な思い出しかないので、思い出したくない』
という、トンデモ練習の代表である「田沢湖合宿」が、
普通の選手だった高校球児を全国レベルにまでする金足農業伝統の練習!
この「洗礼」で、
金足農業高校 = 雑草軍団
という異名が名づけられています!
ちなみに、監督の中泉一豊氏は、この「田沢湖合宿」の3回目に参加したとのこと!
毎日のように救急車が来る!というほどの合宿内容だそうですが、
病院にはよく「お世話」になったようです。
奇跡の快進撃を続ける現在の合宿内容は?
中泉一豊氏が監督に就任した2015年、この「田沢湖合宿」は辞めたそうです。
なので、上記の「田沢湖合宿」は、現在(2018年)では執り行っていないみたいですね。
その代わり、その内容を反映して秋田市内で徹底した走り込みやトレーニングをしているそうです。
・毎年1月に、学校の合宿所で合宿
・朝練は、金足神社まで8.5kmの往復
・午前は、小泉潟公園という近くの公園の坂などを利用
と、いう具合に「田沢湖合宿」までとはいかないみたいですが、『地獄の田沢湖合宿』をベースにした練習方法を現代風にアレンジしているそうです!
「田沢湖合宿」を辞めた経緯は、二つ。
一つは、名門の金足農業高校の基礎を作り、桑田・清原在学時のPL学園を追い込んだ嶋崎久美監督にしか「田沢湖合宿」の真髄は発揮できない!と判断したそうです。
そして、もう一つの理由は、現在の子供と昔の子供の体力や精神面、環境、などが大きい理由だそうです。小さい頃から外で遊ぶ環境がメッキリ減ったことや、苦しいと練習などについていけずに、すぐに休む&諦める!というのが、大きな理由だそうです。
そのことを踏まえて、現代風にアレンジし、「自ら率先してやる!」環境を考えて、選手の本領を十二分に発揮させることに徹頭徹尾、心をかみ砕いていった中泉一豊氏が、103年ぶりの甲子園決勝に駒を進めさせた本当の原動力だと思います!
まとめ
今回ご紹介しました【中泉一豊 (金足農監督)の選手時代やキャリアは?強さの秘密の田沢湖合宿とは?】はいかがでしたでしょうか?
中泉一豊氏は、金足農業のOBだそうですが、通常、人間は自分がしんどい思いをしたことを、後輩や目下の者などにも「味わわせたい」「俺の苦しんだ分を実感しろ!」と思い、後輩たちにもヤラセルことが多いと思います。特に、強豪と言われる部活動などは、その最たるモノではないでしょうか。
ソレを、いくらキツ過ぎる練習の代表格である伝統的な地獄の合宿「田沢湖合宿」を、現代の子供たち用に考慮してアレンジする工夫などは、中々出来ないのではないでしょうか?
こういう相手のことを公私混同せずに思いやれることが出来るからこそ、103年ぶりの偉業を達成したのではないか、とミー助は感じます!
ミー助も秋田の出身で、野球をやっていたので、是非、金足農業高校には東北初となる優勝旗を持って行ってほしいですね!
史上最高とも呼び声の高い「大阪桐蔭」を倒しての優勝!期待しています♫
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